カリブの旅5 そして船は行く
27日(木曜)。
今日は一日中海の上だ。
グアドロープの南側にはドミニカ共和国があり、そのさらに南にはマルティニークがある。マルティニークはナポレオンの后ジョセフィーヌの故郷であり、ラフ カディオ・ハーンが2年間滞在し、愛した島でもある。旅に出る前、行きつけのバーのマスターからマルティニークの音楽を教えて貰っていた。人生の孤独と悲 しみ、そして生きる喜びが素朴に奏でられるメロディーに僕は魂を奪われた。そのマルティニークを訪ねてみたかったのだが、残念ながら今回の航路には含まれ ていない。
船は西南西に舳先を向けている。
デッキチェアーに横になり、ブルーブラックのインクブルーから、黒色に変わっていく海を眺め、肌に風を感じながら、絵はがきに筆を走らせる。
船の旅も悪くないと思い始めていた。
まったく悪くない。
最初は単なるプチブルのお遊びだと思っていたし、一日海の上なんてどこが楽しいんだと思っていたのだが……。
知り合ったインディアナから来たカップルや、テネシーからやってきた老夫婦、そしてお向かいさんである、メアリーと
「今日はどこへ行ったの」とか、「今日はどうするの?」とか他愛のない会話を交わす。
この船は巨大なホテルだと書いたが、それ自体が動く小さな村か、街自体が動く旅だと思う。
私たちはそこの一時的な住人だ。二度と会わないだろう隣人たち。例 えば酒場で、隣り合った人と会話を交わすようなものだ。親密だが、再び訪れることのない関係……。
ただ移動するだけの街が、島々とすれ違う。
それも悪くない。
船に乗って最初に知り合ったのは前出のオハイオから来ているメアリーだった。
船に乗り込む時に預けた荷物は、後に部屋に届けられるのだが、これに案外と時間がかかる。
僕の場合はカメラの三脚がなかなか届かなかった。暗い船内の撮影に必要だったから、フロントに尋ねに行こうとして部屋を出たら、廊下にうずくまっている女性がいた。それがメアリーだった。
その夜、ディナーに着ていく服が荷物の中に入っていて、ほとほと困り果てていたのである。
「大丈夫だと思うよ。僕もまだ荷物が来てないんだ。フロントで訊ねてくるから元気を出して」
「ありがとう……」
そんなたわいのない会話が交わされた。
ロビーにあるカウンターバーでインドネシアから来たバーテンダーとたわいのない言葉を交わす。
外国で、そしてたった一人の日本人として、ほとんど言葉の通じない船の中にいる、というのも悪くない。日本からの隔絶感がより一層強くなる。ただ一人の旅人になるというのは気持ちがとても良いことだ。
初日僕に「世間のことなんか知ったことじゃない。忘れてしまえよ」と言った黒人係員の言葉は全く正しい。陸の上のことなんか知ったことじゃない……。
普段はほとんど着ないスーツを着用しネクタイを締め、ちょっと気取ってディナーに臨む(カーニバルディスティニーはカジュアルクルーズだが、ディナーの時だけドレスコードがある)。
こちらから連絡を取りたくても、あちらから連絡を取りたくても、どうしようもない。連絡を取ろうと思えば、こちらから一方的に手紙を出すしかない。
夜中まで繰り広げられるイベント、夜中まで開いているバー。どこかに感じられるバイブレーションが都会人の私を安心させる。
船は南米、ベネズエラとコロンビアの国境近くの海上に浮かぶアルバを目指して走っていった。
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